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【空知トリビア】夏の甲子園、北北海道&南北海道と「空知」

今年(2017年)の夏の甲子園。正式には「全国高等学校野球選手権大会」の北北海道代表は、空知管内の滝川西高校でした。19年ぶり3回目の出場です。

粘り強さが持ち味のチームでしたが、宮城の強豪、仙台育英高校に一発攻勢で主導権を握られ、残念ながら15-3での初戦敗退でした。滝川西は四回まで毎回無死の走者を出して攻めましたが、バントがうまくいかず3併殺と、序盤の拙攻が響いてしまった試合となりました。
 

アルプススタンドとは何ぞや

さて、夏の甲子園は高校球児の憧れでまさに夢の舞台。球児だけでなく日本中が注目し、全試合がテレビ中継されるいわゆる国民的行事です。その瞬間に躍動する刹那の夏なのです。その聖地である甲子園球場には両校の応援団たちが声を嗄らし応援する「アルプススタンド」と呼ばれる観客席があるのですが、なんとなく聞いたことありますよね!
 
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内野スタンドと外野スタンドの間に位置している「アルプススタンド」という名前は、今では球場公式の名称として使われていますが、その昔、1929年に新設されたそのスタンドは白いシャツ姿の観客で超満員になり、それを見たアルプス・マッターホルンに登頂した経験のある朝日新聞の記者がアルプスを連想。その話をもとに、人気漫画家の岡本一平(「芸術は爆発だ!」で有名な芸術家、岡本太郎の父親)が朝日新聞に書いた漫画に「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」という一文を添えたことから日本中に広まったようです(諸説ありますが)

ほかにも、開会式でプラカードを持てるのは市立の西宮高校の2年生女子生徒のみとか、甲子園の土は鹿児島県の黒土と水はけのよい中国福建省の土のブレンドだとか、トリビアが絶えない甲子園球場ですが、ここから本題です。これまで空知管内の高校がこれまでどのように夏の甲子園に関わってきたかを今回調べてみました。
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北海道で空知だけ●●されていた!!

そもそも甲子園に出場できる代表校は原則1都道府県ごとに1校なのですが、北海道と東京都は2校が出場でき、合計49校が出場します。東京都が「東東京」「西東京」に分かれているように、北海道は第41回大会(1959年)から「南北海道」、「北北海道」に分かれているのです。

北海道は面積が広大で移動距離が長く、移動に負担がかかることから分割されることになったそうです。東京都は学校数が多くなったため東西に分割されましたが、北海道は広さを主な理由として分割されたようですね(笑)

その後、2006年までに南北海道参加校は141、北北海道参加校は117になりましたが、当時の分割方法は、南北海道が石狩、後志、渡島檜山、胆振日高、南空知(空地南部=夕張市・三笠市・美唄市・月形町以南)、北北海道が北空知(浦臼町・奈井江町以北)、上川、留萌、宗谷、オホーツク、十勝、釧路、根室に区分されていました。なんと空知管内だけが南北に分割されていたのです。

しかし旧産炭地の過疎化の影響で生徒数が減少、加盟校が減少し、それぞれ10校程度となったため運営が厳しくなり、南北空知を統合することになりました。2007年大会以降、統合された空知支部が北北海道に入ることになったのです。なのでそれまでの空知の代表校は南北海道だったり北北海道だったりしたわけです。
 

戦後の夏の甲子園・空知管内の出場校

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このうち、甲子園では1994年の砂川北高校が1勝(対江の川・島根)、2008年の駒大岩見沢高校が2勝(対下関工・山口、対盛岡大付・岩手)を見事に挙げています。甲子園に出るだけでなく勝ち星を挙げるなんて至難の業だと思いますので、本当に凄かったんですね。
 

祈願!3年連続

ちなみに昨年の甲子園出場校はクラーク記念国際高校でした。スポーツコース・硬式野球部のある深川市の本校をはじめ全国に33の直営キャンパスがあり、生徒数約1万1千人の広域通信制高校です。野球部は2014年4月創部ですから3年で甲子園という驚きのスピードですよね。来年の北北海道大会もぜひ空知の高校が3年連続で勝ち抜いてほしいですね。

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