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#My炭鉄港 ~第18回 炭鉄港それは家族の歴史~

やっほ
小室ろーだちゃんだよ

もう少しで2024年が
終わるなんて信じられない


でも、4月から新しく
炭鉄港チームの仲間になった
テツヤくんとキセキちゃんも、
この半年くらいで頼もしく成長して
面白いブログを書いてくれてるから、
ろーだちゃん嬉しいわ
もちろんダイヤちゃんもね



炭鉄港にはたくさんの
要素があるけど、
一人ひとりにとって
面白いと思ったことに
興味を持ってくれれば良い。
それが炭鉄港の抱擁力。


そんな思いで名づけた
この企画、#My炭鉄港

そして、炭鉄港は
歴史ストーリーでありながら
〝今に近いという特徴がある
北海道に住んでいる人なら、
家族や親戚をたどれば、
何かしら炭鉄港に関わっていた方
がいるって人、多いんじゃないかな?
それも一つの #My炭鉄港 のあり方

そんなことを考えて、
今回はろーだちゃんの
#My炭鉄港 として、
元国鉄の機関士である
親戚のおじさんに
話を聞きに行ってみたよ!


話を聞いたのはろーだちゃんの叔父にあたる中村正勝さん


正勝さんとろーだちゃん

──元国鉄機関士の正勝さん。どうして機関士になろうと思ったんですか?


もともと三笠の弥生町にいた。
そこでSLが走るのを見て「いいなあ」と思ったのがきっかけみたいなもんだね。

生まれは岩見沢。親は室蘭にいたんだけど、艦砲射撃があって岩見沢の実家に来(正勝さんを)産んだらしいよ。

──弥生ということは、炭鉄港的にも超重要な幌内線を走るSLを見てたんですね!
そして室蘭に艦砲射撃があったのも軍需産業だった鉄鋼業があったから。
さらに正勝さんのお父さんは富士製鐵(新日鉄の前身会社)に勤めていたそう。
家族の歴史と炭鉄港の歴史が密接につながってますね……!

──正勝さんは昭和39年、18歳で岩見沢機関区に入りました。
そして翌昭和40年には石炭をくべる機関助手になりました。

苗穂に鉄道の学校があり、機関助手のときは通いで3ヶ月、機関士のときは泊まりで3ヶ月勉強した。

朝行ったら「安全は輸送業務の最大の使命である。」と言わされる。安全綱領と言ってね。

責任の重い、大変な仕事だよね。

──機関助手は、どんな仕事でしたか?

石炭をくべて、蒸気機関車を動かす蒸気を上げる仕事。


機関助手が石炭をくべるワンショベル
「イワキ」は岩見沢機関区の意味


夏なんか、ナッパ服(現場で着ていた作業服)が汗が乾いて白くなったね。
冬だって、機関車の中に暖房なんてあるわけないから、冬は寒いし、夏は暑かった。
大変な仕事だったね。


機関助手のナッパ服を着る正勝さん

──当時、岩見沢駅の駅前はどんな感じでしたか?

いっぱい飲み屋があったね。
 
蒸気機関車を停泊しておくとき、次の出番に備えて火を消さないから「蒸気番」という徹夜の仕事があった。
朝仕事が終わったら駅前の横丁に飲みに行った。

東北以北最大の操車場と言われて、貨車の入替(いれかえ)をやる交番(シフト)が操車場に4組、駅に2組で6組もあった。

それで貨車の仕分けなんかを24時間3交代でやってたから、賑わいがすごかった。
 
昼には飲まなかったけど、二番方が夜11時すぎに終わるから、また駅前に飲みに行った。
 
岩見沢駅前の2条西5丁目のあたりにホルモン屋があって、そこもよく行った。
味噌ホルモンがおいしかったよ。

──そして、昭和53
33歳のとき、念願の機関士になります。
33歳というと今のろーだちゃんの年齢……!)




正勝さんが走らせたDD51まりも


──機関士になるのが夢だった正勝さん。
機関士になる試験を受けたときの時刻表を「この時刻に基づいて走ったと、一生の記念になるからくれないか」と機関区の管理者に頼み、もらったそうです。


正勝さんは、試験で栗丘から由仁まで走ったそう

──さらに昭和55年 
35歳で電気機関車の機関士になりました。




機関士のバッヂと免許


──そして昭和62年、正勝さんが41歳のときに国鉄分割民営化が起こります。
正勝さんは清算事業団に行くことになりました。
その後、43歳でJR東日本に広域採用となり、豊田電車部、大宮の要員機動センター、上野の要員機動センターに配属になります。上野では、上野駅の改札を担当していたとのこと。
47歳で池袋駅に配属になり、山手線や埼京線のホームで駅員を12年勤めました。
そして平成17年、60歳で退職を迎えました。


正勝さんとろーだちゃん

──現在は岩見沢SL保存会で活躍されています。
正勝さん、ありがとうございました!


自分の親戚から、
炭鉄港と密接につながった
家族の歴史をこんなに
濃密に聞けるなんて。
聞けて、本当によかった~~!

これを読んでくれたみんなも、
周りの人や家族、親戚に
炭鉄港に関わりのあった人が
いないか聞いてみて、
お話を聞いてみるのはどうかな

それがあなたの #My炭鉄港 かもね
それじゃ、また会いましょ

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