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“リラ冷え”の小さなまちから~滝川市江部乙町ゆかりのことば~

こんにちは!滝川市の江部乙まちコミ隊女子部です。

北海道では、5月の半ばを過ぎると、「リラ冷え」という言葉が天気予報でよくきかれる季節になります。
リラとは、フランス語でLilas、英語でライラック(Lilac)のこと。
「花冷え」という季語はもともとありましたが、田んぼに水が入り、ライラックの花が咲く5月末ごろに冷え込むのは、この季節の北海道を経験した方なら、感覚的にご存知ではないでしょうか。
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作家の渡辺淳一さんが小説「リラ冷えの街」(1971年)で題名にこの言葉を引用したので広く知られるようになりましたが、実は、この「リラ冷え」という言葉を生み、使ったのは滝川市江部乙町出身の俳人・榛谷(はんがい)美枝子さんなのです。

江部乙駅前には、同じく俳人であったお父様の開業する榛谷医院があり、この通りは「はんがい通り」と呼ばれていました。
美枝子さんは、戦前より高浜虚子らと親交を結び、18歳で俳誌「ホトトギス」に初入選。その後、洋画家の一木万寿三さんと結婚して、榛谷医院あとを住宅にし、一木さんは庭で子どもたちの絵画教室を開いていたそうです。
その後、札幌に転居するころ、昭和35年(1960年)に

リラ冷えやすぐに甘えてこの仔犬
リラ冷えや睡眠剤はまだ効きて

などの俳句をつくり、昭和43年には自費出版で『句集 雪礫』を発表しました。
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この句集を読んだのが、北大の助教授で植物園に勤務されていた辻井達一さん。昭和45年(1970年)に『ライラック』(HTBまめほん2)という冊子で榛谷美枝子さんの「リラ冷え」を季語とした俳句を紹介したものが、渡辺淳一さんの目に留まりました。
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実は、渡辺淳一さんはエッセイ集「北国通信」のなかで、「小説『リラ冷えの街』はこの辻井達一さんをモデルとして状況設定をお借りした」と記しています。そして、榛谷美枝子さんの「リラ冷えや睡眠剤はまだきいて」という句が気に入っている、と書いています。
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ライラックの原産地は、ヨーロッパ南東部のバルカン半島から東アジアにかけてなのだとか。中国では丁香(ちょうこう)と呼ばれ、実は、江部乙の道端にもよく見られる落葉樹のハシドイが、このライラックの仲間に当たるということらしいのです。
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〔ライラックの仲間・ハシドイ〕

ライラックは品種改良を経て、大西洋を渡ってアメリカへ。そしてほぼ地球を一周し、札幌で原種のハシドイ(ジャパニーズ・ライラック)と出会うというのは、不思議なご縁を感じます。
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〔江部乙で咲き始めた今春のライラック〕

札幌では、昭和34年(1959年)からライラックまつりが始まりました。榛谷美枝子さんもその頃に札幌へ移り住み、5月末の朝、冷え込んでピンと張り詰めた空気の中で、ライラックの香りに包まれていたのだろうとおもいます。
そして、このリラ冷えの季節に、そんな素敵な言葉をうみだした人が江部乙に住んでいたんだ…と思える今があります。
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〔果樹(上:千両ナシ、下:プルーン) 撮影:嶋津果樹園〕

江部乙では、桜が咲き終わると、リンゴの花はもう少し先ですが、千両梨、さくらんぼ、プルーン、桃の花が次々に咲き誇り、桃源郷さながらの風景が広がります。
丸加山高原や公園には歌碑や句碑が点在しています。
季節の花々は、私たちに言葉の豊かさと暮らしの彩りをもたらしてくれる大切な存在だと、改めて感じます。

ちなみに、榛谷美枝子さんの句集は、道の駅たきかわのすぐ近く、滝川市農村環境改善センター内の江部乙資料コーナー「アート&ヒストリーボックス」で読むことができますよ。
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5月中旬になって、水の入った田んぼがきらめき、菜の花が早くも盛りを迎えました。今年は「たきかわ菜の花まつり」も再開します。
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〔江部乙の菜の花畑〕

春から夏にかけて、美しい風景を求め、江部乙を訪れる方が多くなります。
ドライブの際はどうぞマナーを守って、気を付けてお越しください。
私たちと一緒に、リラ冷えの季節を楽しめますように。

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