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活かす炭鉄港まちづくり講座~中編(歌志内市・芦別市)

知名度上昇中の日本遺産 炭鉄港(たんてつこう)。

今まで様々なツアーやまち歩きイベントが開催されてきましたが、今回は朝から夜までじっくり炭鉄港に浸かる新企画「活かす炭鉄港まちづくり講座」に参加してきました!

前編に続き、今回は歌志内市~芦別市をご紹介します。

※前編はこちら↓
 活かす炭鉄港まちづくり講座~前編(美唄市・歌志内市)
 https://sorachi-de-view.com/sorachi/tantetsukou2025_1

炭鉄港って?(おさらい)

炭鉄港とは、空知の「石炭」・室蘭の「鉄鋼」・小樽の「港湾」とそれらをつなぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた、北の産業革命のストーリーのことで、令和元年に日本遺産に認定されました。
約100km圏内に位置し、近代北海道を築く基となったこの三都を原動力として、北海道は大きく発展しました。
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こもれびの杜記念館の前で

旧歌志内線跡の駅名標(複製)の見学を終えた一行は、20世紀に使われていた生活用具などが展示されている大正館を見学した後、旧空知炭鉱倶楽部(こもれびの杜記念館)前に移動。

旧空知炭鉱倶楽部は、1897年に北炭の社員合宿所として設置された後に、北炭をはじめとする企業の幹部や来賓など(限られた人達)の接待、会食、宿泊等の迎賓館として、空知炭鉱閉山まで使用された建物です。

残念ながら今回は館内の見学が叶いませんでしたが、中欧の山荘風を思わせるハーフティンバー様式の洋館でした。

また、今後取り壊しが予定されていますが、かつて空知炭鉱で働いていた多知光弘さんの解説によると、敷地内に埋設してあった電線を修理した時には戦後に一時期許可されていたような珍しいケーブルが出てきたとのことです。

物資の不足していた時代にも、炭礦会社が資材を確保できていたことと、炭鉱倶楽部の景観のためにわざわざ電線を見えないように配慮していたことに気が付きます。
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歌志内市地域おこし協力隊 石井泰紀さんの解説によると、当時、旧空知炭鉱倶楽部では企業の幹部クラスや来賓たちとの重要な会合などがあったので、機密が漏れないように地元歌志内の人の採用は避けられたそうです。

ここでお手伝いさんとして勤めた経験がある女性は、歌志内中学を卒業後、3年のあいだ東京で働いて、歌志内に戻ってきました。職を求めて、空知炭鉱倶楽部に、歌志内ではなく赤平の人だということにして面接を受けると、即日採用されたと、お話しされていたそうです。

歌志内高校演劇部の部長だったという別の女性のお話によると、仲代達矢をはじめ、歌志内に来た大物芸能人は、ここに泊まっていたといわれています。

「歌志内のビバリーヒルズ」と表現されることもあるこの地区は、空知炭礦の幹部職員の居住区であり、周辺の地域とは雰囲気が異なっていました。

旧空知炭鉱倶楽部について石井さんは、贅を尽くした空間に空知炭礦の持っていた財力と、要求されていた文化の水準を示すもので、都会ではありふれたものだとしても、歌志内の山奥に、洗練された趣向を凝らした建築があることに、炭礦会社がこの地域で持つ重要性を知ることができると語ります。

車窓から芦別を巡る

歌志内を後にした一行は、道の駅スタープラザ芦別で一時休憩。芦別市をガイドしてくださる、芦別市育ち・芦別市在住のNPO法人炭鉱の記憶推進事業団 大橋二朗副理事長と合流します。
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※停車中の車内にて解説、撮影
まずは上芦別地区へ。

バスの車窓から最初に目に入ったのは材木置き場。芦別市は、農業から炭鉱、炭鉱から林業、そして観光に舵を切った後、また林業を始めたという歴史があるそうです。次に見えてきた畑は、閉山後に行われた露天掘りの跡地を埋め戻したものだそう。
ところどころに見える煉瓦造りの炭鉱住宅には、今も住んでいる人がいるとのことですが、当時炭鉱の上層部が住んでいた家には現在、移住者の方も住んでいるなど、ガイドのお話を聞くことで過去と現在のつながりを感じることができました。

続いて、炭鉄港の構成文化財「旧三井芦別鉄道 炭山川(たんざんがわ)橋梁」がある西芦別地区へ。

こちらは芦別川支流の炭山川に架かる三井鉱山(株)専用鉄道の橋梁で、鉄橋上にはディーゼル機関車と石炭専用貨車が展示されています。

残っている炭鉱住宅が古いことから、この地区と後述の頼城(らいじょう)地区とを合わせるコンパクトシティ化が推進されていますが、うまく進んでいないという課題を抱えています。
また、人口の減少が進む寒い地域ゆえ、昼間に水道を使う人が減ることで大元の水道管が凍り、水が出なくなることがあるとのことです。
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旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁
さらに進み、頼城地区へ。

大橋さんは、「炭鉱まちがなくなっていく途中のまち」と表現します。所有者不明な建物や土地があるため、古い建物の取り壊しや水道の撤去がなかなか進んでいません。
また、過疎化が進むと警察署や消防署が減っていき、頼城地区も例に漏れずの状況ですが、郵便局は最後まで残ります。言われてみると、他の旧産炭地域をはじめとするまちでも、郵便局がしっかり残っていることに気付かされます。

ちなみに、この地区にある炭鉄港の構成文化財「旧頼城小学校(星槎大学)」は、映画「劇場版GTO」のロケ地にもなっています。
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春に撮影した旧頼城小学校(星槎大学)
※旧頼城小学校の詳細はこちら↓
 【 てつこの部屋 】 ~ VOL13 石炭の倉~
 https://sorachi-de-view.com/sorachi/tetsukonoheya13

続きは後編で

芦別市では「まちづくり」の講座として、炭鉄港に関わる歴史だけでなく芦別というまちが抱える現状、課題にも触れながら、旧産炭地全体の今後のまちの姿を考える時間となったのではないでしょうか?

次回、後編では最終地点、夕張市での様子をご紹介します。
更新をお楽しみに!

炭鉄港は他にもたくさんの記事がありますので、こちらもぜひご覧ください。

てつこの部屋~私が「炭鉄港女子」になるまでの物語~ Vol.1
 https://sorachi-de-view.com/sorachi/tetsukonoheya1
てつおじさんぽ ~炭鉄港を巡るお散歩日記~ 第1歩
 https://sorachi-de-view.com/sorachi/tetsuojisanpo1
ゆっくり炭鉄港 第1回
 https://sorachi-de-view.com/sorachi/yukkuri_tantetsukou1
#My炭鉄港 第1回
 https://sorachi-de-view.com/sorachi/my_tantetsukou01

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