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【 てつこの部屋 】 ~ VOL11 残すということ(美唄後編)~

♦我路(がろ)ファミリー公園

次の目的地は
三菱美唄炭鉱竪坑櫓。
(カードは駅前のホテルBIJIKO様で配布中)

アルテピアッツァで
泉さんに別れを告げた後、

さらに東の山奥へ進んでいく。


道中、左手に見えてきたのは
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我路ファミリー公園。


勇気を出して正直にお伝えするならば

ファミリー感とは一切無縁なご様子・・・



曲がった鉄棒、座席のないブランコ。

遊具はほぼ全滅。
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おそらくラクダ。

いや、じつはここ
理由があってきたんです。

泉さんに教えてもらっていた
安田侃氏による作品がここにも。


炭山の碑
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三菱美唄の炭住街中心であった我路にて
炭鉱で亡くなった方々の鎮魂のため
1980年に建立。

地底に眠る方々の魂に空気を送り込むため
御霊を山から吸い上げて家族のもとへ返すため
柱の先が三方向を向いているとのことです。

そして、ここにある碑文。
これも見たかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〈炭山の碑〉

美唄の炭坑は閉じ
多くの坑夫達は散りじりに山を去った。

石炭を掘り、働く喜びは
盆踊りのにぎわいも楽しく、

それぞれに忘れ得ない
生活のなりわいがあった。

時代は過ぎ去り
人々は役割も終えて
もう誰もいない。

ただ、静かに地底に眠り
歴史を話しかける炭山だけが
生きている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

読んだあと、10秒目を閉じて
うなずいちゃった。

これだけで日本酒いけるわ。
 

♦三菱美唄炭鉱竪坑櫓

「ほんとに道あってる?」と
少し心配になるくらい
更に山道を10分ほど。

 
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お!あれか!
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三菱美唄炭鉱竪坑櫓

第一次世界大戦後の不況時に
生産費低減や能率向上を目指した
合理化策の一環として大正12年に建造。
道内としては2番目に古い立坑。

排気と入気用の2本の竪坑が並び、
現在は炭鉱メモリアル森林公園として公開。

かつては美唄鉄道の常盤台駅を前に
大規模な選炭工場がドシンと構えていた
三菱美唄炭鉱ですが、

現在残っているのは

紅色が美しい2本の竪坑巻揚櫓と
電源を管理していた開閉所、
原炭ポケットが残るのみ。


(開閉所)
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(原炭ポケット)
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こちらは稼働していた当時の様子。
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いや、もうね。

たとえ一部だけでも
残して頂けているだけで感謝ですよ。
 
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この迫力と、
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この美しさ・・
 
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帰り際に
もう一度原炭ポケットを見ていると

以前、三笠の幾春別炭鉱でみたあの感じ。


年月をかけて
自然が人工物に溶け込む
儚さと美しさ。

 
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♦グッジョブ美唄

秋空の中、
竪坑付近を散策しすぎたせいか。

寒くてたまらなくなったわたしは
帰り際に「ピパの湯 ゆ~りん館」へ。
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「んおっ!?」
 
そこの廊下にて発見。
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今回のカードにはなっていませんが

美唄鉄道東明駅舎
4110形式十輪連結タンク機関車2号

も構成文化財のひとつです。

なんでも、
劣化が激しい駅舎と
SLの保存・回収に向けて

市教育委員会と保存会の皆様が
クラウドファンディングを始めているとのこと。
 
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なるほど。
たしかにこれは修理が必要ですな・・
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昭和47年の三菱美唄炭鉱閉山まで
石炭輸送と住民の足として
大活躍した駅舎と機関車。

まだまだ当時の記憶を残している方も
大勢おられて、

活気のあった炭鉱街を振り返り
思い出話に花を咲かせるのでしょう。

アルテもそうだったけど、
炭鉱の記憶を繋ごうとする
市民の気持ちがすごく伝わってくる。

ただ単に「保存する」だけの
公共工事とは違うやり方。

こうした活動を通じて
人の輪が広がり
新たな活気が生まれるんだろうな。
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廃墟を見てきたはずなのに
未来を見てきたこの感じ。


焼き鳥だけじゃないですよ、この街は。
 
To be continued......

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