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【空知トリビア】1992甲子園 砂川北高校の夏

さて明日3月23日、いよいよ日本に春が来たことを感じさせる春の選抜甲子園大会が開幕します。

昨年11月にこのWebサイト「そらち・デ・ビュー」がリニューアルしたときに、【空知トリビア】夏の甲子園、北北海道&南北海道と「空知」という定番の食や観光ではない「空知のエトセトラ」の記事を書かせてもらったのですが、今回はその記事に関連する往年の球児にいろいろお話を伺って、その内容を深掘りしてみました。

野球に興味のある人だけでなく、あまり興味のない人にも読んでほしいドキュメンタリー仕立てになりましたのでよろしくお願いします(笑)
 

ゴジラ松井秀喜が全国区になった大会

2018年1月15日、新たに野球殿堂入りする方々が発表されました。野球殿堂とは、ざっくりいうと「日本のプロ野球で顕著な活躍をした選手等の功績をたたえ顕彰する」というもので、殿堂入りとは、一流の中の更に一流であると認められることなのです。

その中の一人に、巨人・ヤンキースなどで日米通算507本塁打を放った松井秀喜氏が選ばれました。トルネード投法でおなじみの野茂英雄氏の45歳4ヶ月を抜き、最年少の43歳7ヶ月での選出となりました。松井氏の現役時代はまだ記憶に新しい方も多いかと思いますが、日本球界での活躍はもとより、メジャー時代には「ワールドシリーズMVP」にも選ばれた凄すぎるスーパースラッガーでしたね。

そんな松井氏が一躍全国区の有名選手になったのは、1992年8月16日夏の甲子園大会7日目のことでした。第3試合、明徳義塾(高知)と星稜(石川)の試合は軽いパニック状態のようでした。星稜の松井選手はあまりの強打者であるが故に、明徳義塾からナント“全打席敬遠策”に遭って、同点機の5打席目直後にはグラウンドにモノが投げ込まれ一時中断、勝った明徳義塾の校歌斉唱時にも、スタンドから「帰れ」コールが起こるなど騒然なムードのゲームとなりました。

そんな記憶に残るゲームの3日前、大会4日目。同じ第74回大会に出場したのが、砂川北高校(現:砂川高校)でした。
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さて、今回いろいろお話を伺った方というのが、当時の砂川北高校のエース、佐藤文計(ふみかず)さんなのです。

現在、赤平市役所の企画調整係長として、地域振興のため日夜奮闘されています。数年前、私が振興局に赴任して名刺をいただいたとき、どっかで見たことのある名前だなぁとぼんやり思っていて、その後、人づてに砂北のエースだった方と聞き、驚きと感動を覚えました。今回の取材も、昔話に照れる元エースに無理を言って応じてもらいました。(感謝!感謝!)
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プレイバック!あの日の甲子園 ~「甲子園には魔物がいた!」砂川北の夢八回に潰える~

1992年8月13日 大会4日目 第3試合
砂川北(北北海道) 200 020 000  4
北 陸(福  井) 000 001 04X  5

◆熱戦譜
1回、四球2つをきっかけにタイムリーと3ゴロで2点を上げて先手を取った砂川北は、5回にもヒットのランナーをおいて(後にドラフト4位でオリックスブルーウェーブに入団する)3番関吉選手が左中間最深部へ2ランホーマーを放ち、4点差とします。

ところが、北陸は1点を返した後の8回、3ゴロの打者が1塁悪送球で2進。2死後、左前タイムリーを放ち2点差とし、次打者の2ゴロを今度は二塁手が1塁へ低投して、2,3塁と好機が続きます。ここで佐藤監督率いる砂川北は佐藤から横山にスイッチしましたが、流れを止められず2連打を喫し一気に逆転され、そのままゲームセット。砂川北は勝ちパターンだっただけに、本当に残念な守りの連続ミスでした。
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▲相手を上回る8安打を放ち、着実にリードを広げたが…

◆インタビュー
――佐藤投手は右の本格派だったと記憶していますが、3年生最後の夏に向けて春からの仕上がりはどうだったんですか? 

佐藤さん「実は、2年生の夏の甲子園をかけた北大会で右肩を痛めてしまったんですよね。その後3ヶ月ほどリハビリに専念しました。何とか春の選抜甲子園をかけた秋の全道大会には間に合わせて準決勝までは進みました。一冬越して、また、肩を壊さないようにインナーマッスルを中心に地道にトレーニングを続けました。3年生最後の夏なので悔いだけは残さないよう必死でしたね」

――北北海道大会は、危なげなく勝ち進んだようにみえましたがどうでしたか?当時の砂川北野球部はどんな雰囲気だったのですか?

佐藤さん「(先述の)春の選抜甲子園をかけた秋の全道大会は、あと一歩のところで決勝に進めず悔しい思いをしましたが、北北海道のチームでベスト4に進んだのはうち(砂北)だけだったので、チームとしてはみんなイケるぞという感覚がありましたね(編集部注:秋の全道大会は、北、南の区分がない)。でも今思うと、選手より監督の方が手応えを感じてたんじゃないかと思います。それまでも冬場の練習はきつかったんですが、この秋の大会以降ギアが上がって、練習量が3倍になっちゃいましたから。これはマジで辛かったなぁ。冬なのに朝から晩までずっと筋トレですもん(笑)」

――観客席から見ても甲子園はとてもきれいな球場ですが、実際にグラウンドに降りてみてどんな感想でしたか? 

佐藤さん「球場自体はそんなに広くは感じませんでしたね。でも、芝がとても綺麗ですし、なにしろ甲子園のマウンドは最高に投げやすかったです。気持ちよく投げられたせいか、普段より球速が出たんじゃないかと思います」
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▲ダイナミックなフォームで力投するエースの佐藤さん

――北陸高校(福井)戦は、降板するまで被安打4と好投していましたが、調子は良かったんですか? 

佐藤さん「調子自体は悪くなかったと思います。なにせ普段からコントロールが悪く、実際にマウンドに上がらないと自分でもその日の調子がいいのかわからないタイプだったので(笑)」

リードして終盤を迎える理想的な展開でしたが問題の8回裏でした。エラーで流れが悪くなりましたが、ピンチでどんな心境でしたか? 

――佐藤さん「今でも鮮明に記憶してますが、ピンチを迎えて球場全体の雰囲気が一気に変わったんですよ。相手の応援もボルテージが一気に上がって、マウンドにいても内野手の声がまったく聞こえなくなりました。自分自身もいつの間にかその雰囲気に押され、若干弱気になっていたのかもしれません。監督がそれを感じて継投策に出たのだと思います。そのときはわかりませんでしたが、ヒットらしいいい当たりはそれまで3本しか打たれてないのに、そこら辺の心の隙を甲子園の魔物がついてきたのかなぁ」

――ゲームセットの声を聞いて、いかがでしたか?

佐藤さん「あ~負けた、自分の高校野球が終わってしまったな~。もうこの仲間と野球はできないんだ…って思いました。率直に寂しかったですね」

――佐藤さんにとって、(甲子園に限らず)野球とはどういうものですか?

佐藤さん「小さい頃から野球が大好きでしたが、特に高校に進んでからは明確に甲子園に行くために野球をやっていた感じですね。最初の頃は甲子園に行くんだと言ってるだけで、本当に行けるような実感は2年生の秋までなかったんですよ。でも、監督や仲間に恵まれ、いっぱい練習して聖地の甲子園に行けて本当に良かったです。今でもまだ、市役所で勝つことも追求しながら、楽しんで野球をやっています。すでに身体は限界を超えてますがね…(笑)」

――少子化により野球も競技人口が減少しています。今の球児にどんな声をかけてあげたいですか?

佐藤さん「月並みなコメントになっちゃいますけど、野球を楽しんでやることですかね。でもね、それが一番難しいんですよー。野球に限らずスポーツって向き合えば向き合うほど奥が深いんです」
 

~高校野球は、やっぱり指導者なのか? 佐藤重富監督について~

最後に当時52歳だった佐藤重富監督に触れて終わりたいと思います。

まずは、試合後の公式談話です。
「甲子園にはやはり魔物が住んでいるんです。あそこでああいうエラーが出るとは…。何としても勝ちたかったが、5点目が取れなかった。継投も予定どおりだったが…。たたみかけてきた北陸が強かったということです。」

実は、試合後宿舎で「まあ、残念だ、残念だって言って、5年は飲めるべ。」とも語っていたそうですから、本当に悔しかったんでしょうね。佐藤監督は、三笠市の出身で岩見沢東高、道学芸大札幌校を卒業後教員となり、半世紀を超えて高校野球の指導を続けられました。

甲子園には砂川北と鵡川を率い計6度出場し、プロ選手も4人育てている正に野球の名伯楽でした。砂川に野球部の生徒のために、私財を投じて自宅を新築し、下宿として供して、奥様と部員と一緒に住んでいたそうですから、その野球愛は計り知れません。
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▲北陸高校との試合前のノックをする佐藤重富監督

――ぶっちゃけ、佐藤監督は恐かったですか?

佐藤さん「怖いってもんじゃなかったですね。よく教育的指導をしていただきました(苦笑)。でもこれって選手を信頼し、期待してるからこその愛情だと思います。自分は監督の家で下宿してたので、寝食ともに部活動が終わる2年半一緒に過ごしました。監督は野球だけでなく社会に出てからどう生きていくかを重視して、"もし野球でレギュラーになれなくても、社会に出てからレギュラーになりなさい"といつも言ってました。挨拶はもちろんのこと、5分間スピーチなども社会人になってからも役立つ指導がたくさんありました」

*****

いやー、「社会に出てからレギュラーになりなさい」って染みる言葉じゃないですか。佐藤監督、やはり懐が深い人物だったのですね。

ちなみに、残念ながらこの年、甲子園初勝利を掴むことができなかった砂川北高校野球部ですが、物語には続きがあるんです。なんと後輩たちが2年後の1994年の夏の甲子園に再び出場します。待望の初勝利(対 島根江の川)を挙げ、2回戦で史上唯一の“南北”北海道代表校対決に繋がっていきます。なんてドラマティックなんでしょうか。

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チームの数だけドラマに溢れる、甲子園大会。冒頭でお伝えした通り、明日3月23日から春の選抜甲子園大会が開幕します。

空知の高校は今回出場しませんが、球児たちひとりひとりにこの記事のような想いがあることを考えながら観戦すると、これまでとは違った視点で楽しめるのではないでしょうか。

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