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三笠の歴史をたっぷり堪能「ジオツアー」~職員のAT体験記②~

気づけば10月も中旬となり、冬の匂いがしてきましたね。

今回は、職員によるアドベンチャートラベル(AT)体験記の2回目の投稿です!
アクティビティを通じて自然を体験し、その地域の歴史や文化を楽しみながら学ぶ旅行形態の1つであるATを空知管内で職員が体験してきたので、その魅力をお伝えします。
※「そもそもATって何?」という方は、こちらをご覧ください。


それでは、三笠コースの体験記のはじまり、はじまり~~~。

ATはガイドがいてこそ!

今回は、三笠ジオパークのジオツアーに申し込んで、約6時間、たっぷり三笠を堪能してきました。
今回ガイドをしてくださったのは、ジオガイドの上口 壮太(かみぐち そうた)さん植家 祐慈(うえけ ゆうじ)さん
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※右から2人目が上口さん、一番右側が植家さん。

昨年度のATWSでも、ツアーの内容決めから、当日の解説までご担当されたお二人。どのようなガイドをしていただけるのかワクワクしながら、まずは三笠市立博物館へ向かいました。

地球の「なぜ?」がたくさん!!「見て・聞いて」学ぶ三笠市立博物館

三笠市は石炭と鉄道の発祥の地として栄えた歴史あるまちです。
館内では、アンモナイトが海を泳いでいた1億年前から、炭鉱まちとして栄えた現代の歴史まで余すことなく、楽しく学ぶことができます。
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館内に入るとまず目に映るのは、一面に広がる多種多様なアンモナイトの数々。
アンモナイトの化石の展示数はなんと
日本一なんです!!

館内の展示については、上口さんが解説してくださいました。
皆さんが想像するアンモナイト以外にも、細長い形のものや、クネクネしたかたちのものなど、見たことがない形のアンモナイトの化石を間近に見ることができます。
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また、炭鉱に関する展示スペースも充実しています。三笠の繁栄の歴史を語る上で欠かせない空知集治監のことから、そこの囚人たちが石炭採掘に駆り出された歴史などが展示されています。
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他にも実際に石炭採掘の際に使用していた道具を見学できるほか、「なぜ北海道でアンモナイトの化石が多く発見されているのか」「どうして空知・三笠で炭鉱が栄えたのか」など、たくさんの「なぜ?」「どうして?」見て・聞いてしく学ぶことができます♪

博物館で学んだあとは実際に「触れて・動いて」味わう野外エリアを探索

野外エリアは、1億年前と5000万年前の生命の記憶、そして近代日本における人々の営みの記憶を体感できる片道約1.2kmの散策路です。
野外エリアからは、植家さんが解説してくださいました。
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実際に恐竜がいた時代の地層や100年前まで採掘していた石炭層を間近で見て・触れることができ、大興奮間違いなし
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解説を聞きながら歩いて行くと、野外エリアの見どころの一つである「旧幾春別炭鉱錦立坑櫓(きゅういくしゅんべつたんこうにしきたてこうやぐら)」に到着!
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この立坑櫓は、なんと道内で現存する立坑櫓の中で1番古いものなんです!
上部には北炭(北海道炭砿鉄道会社)の社章である★マークが!
この立坑櫓の隣には動力室も残っており、当時の面影を見ることができます。

さて、大自然の中、歩みを進めていくと、野外エリア名物「ひとまたぎ覆道」に到着
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※2つの地層の境界をまたぐと、一気に5000万年もの時間を飛び越えられる
 
 
ここでは、石炭層の5000万年前の地層と1億年前の地層が地殻変動などで垂直に持ち上がったことにより、隣り合って見ることができます。
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今回はあいにく雨の中での探索でしたが、よく晴れた日や、秋の時期だと紅葉を楽しみながら散策することもできるので、魅力が満載です。

さて、腹ごしらえ

昼食は、大正時代に創業した「更科食堂」へ行ってきました!
更科食堂の記事はこちら

お蕎麦が有名な店舗ですが、今回私はチャーシューめんをチョイス!
昔ながらのしょうゆラーメンに、味がしみしみのチャーシューが5枚ほど。今思い出すだけでもヨダレが出ます...
一緒に行ったメンバーはもりそば(冷)を注文していました!こちらも美味しそうでしたよ!
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ランチの後は、やっぱり甘いもの

コースには含まれていなかったのですが、更科食堂に行く途中、「スイートポテト」というかわいいのぼりを発見したので、昼食後に行ってみました!
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ツタが絡まる素敵な雰囲気のこのお店の名前は「IMO melon NANKIN(いもめろんなんきん)」。
今年8月に改名したばかりで、(おそらく)世界で唯一「芋(サツマイモ)」「メロン」「南瓜(かぼちゃ)」の専門スイーツショップです♥(絶対女子が好きなやつ)
私たちが訪問したときは9月ということもあり、秋の味覚「スイートポテト」「カボチャプリン」「さつまいもプリン」が販売されていました!(この他にもクッキーなどの焼き菓子もありました♪)

※リニューアル前のお店(KULATUTA)の記事はこちら
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とーっても悩みましたが、私はスイートポテトとさつまいもプリンを購入。外のテーブルでプリンをいただきました!さつまいも感が強く、とってもおいしいプリンでした(^^)家の近くにあったら通っちゃうわ~~~。
スイートポテトはお家でゆっくりいただきました。
※詳しくは、
「IMO melon NANKIN」のInstagramをご覧ください。
 

つわものどもが夢の跡1~旧奔別炭鉱

ここで質問。
皆さんは奔別(ぽんべつ)炭鉱を知っていますか?
奔別炭鉱は知らなくても、ひょっとしたら、見たことがあるかも知れません。
三笠市の市街地を抜け、芦別・富良野に抜ける道道116号線。
民家の間から少しだけ覗く、古びた大きな櫓・・・。そこが三笠の産業を支えた一つの施設、奔別炭鉱です。

三笠市は良質な石炭が採れたことから多くの炭鉱ができ、日本の経済成長を支えてきました。奔別炭鉱は当時の最新技術を駆使し、巨額を投じて造営され、1960年の完成時は『東洋一』と呼ばれて、100年稼働も期待されていました。
しかし、石油燃料の台頭や、安く大量に仕入れられる海外の石炭により、日本の石炭産業は縮小。100年間の稼働を期待されていた奔別炭鉱も、実際は十数年で閉山を余儀なくされました。

さて、この奔別炭鉱は、昨年所有していた民間企業から三笠市へと無償譲渡され、周辺の土地は借地契約となったそう。(詳しく調べると、民間企業はこの奔別炭鉱の立坑の解体も検討していたんだとか・・・)
建物の所有者が三笠市に移ったということは、今回特別に入ることが出来るのでは・・・・!!??これは期待大!!!!(この敷地には、ツアーなど、年に数回決まった日にしか入れません。)
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結果としては、敷地内に入ることができ、かなり近くで施設を見させていただけました!
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ガイドの方のお話を聞くには、現在建物の中央の三角屋根の鉄骨がむき出しになっているのは1971年の坑道密閉作業中の爆発事故で外壁が吹き飛んだためだそうです。昔の写真と見比べると確かに屋根も外壁も存在し、当時の爆発事故の激しさを見ることができました。

それにしても、外見だけでも満足出来る美しい施設です。
歴史好き、廃墟好きにはたまらない・・・。

ちなみにこの施設では巻き上げ機(エレベーターのようなもの)が2台あり、片方が石炭を乗せたトロッコ、もう片方は人や資材を乗せていたそうです。
巻き上げ機の昇降速度は操業当時の時点で時速43km。(※現在の日本最速エレベーターが横浜ランドマークタワーの45km。)
当時は今ほどの安全性や乗り心地はなかったはずで、当時の炭鉱マンは「まるで落ちるようだった」と話していたそうです。
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※鉄骨の間にある細長い4段式の箱が当時のエレベーター。1台につき60人前後乗れたんだとか・・・
 
今から約60年前に、これだけの技術が使われていたというのはすごいと感じました。

たくさんの石炭と人を運んだ唐松駅舎

奔別炭鉱の興奮冷めやらぬまま、次は唐松(とうまつ)駅舎へ向かいました。
この駅は、使われていた当時の姿を残した数少ない駅舎であり、ギャンブレル屋根という特徴的な屋根が魅力です。

現在、駅舎の中には当時の鉄道の写真などが所狭しと貼ってありました。
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つわものどもが夢の跡2~幌内炭鉱群

さてさて、見学の順番上、最後になってしまいましたが・・・この幌内炭鉱群こそ、三笠炭鉱の始まり
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※幌内炭鉱で最初に掘られた音羽坑の坑口

「幌内炭鉱」とGoogleMapで調べると、三笠鉄道記念館の奥にある変電所周辺が示されますが、写真は三笠市唐松近くに存在する立坑が出てきます。
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「あれ、同じ名前だけど、場所が全然違うから別物?」と思うかも知れません。

実は幌内(三笠鉄道記念館の奥)と唐松の立坑は直線距離で約3km離れていますが、地下の坑道が繋がっていたそうです。
ちなみに、幌内側は斜坑といってつづら折りのように地中に掘り進めていく工法で、ベルトコンベアーを使って石炭を地上に掘り出していたそうです。コンベアーの総延長は9kmもあったんだとか!坑道は公園のジャングルジムのように前後左右だけでなく上下もあるので、どれだけ中が広かったか想像できるかと思います。

幌内炭鉱斜坑周辺の見所は“狭い土地をいかに広く使うか”というところだと思います。
炭鉱の敷地内を流れる奔幌内(ぽろぽんない)川。この川部分にアーチ状の鉄骨を設置し、鉄板などで覆うことで、荷物置き場として有効活用したり、ベルトコンベアー用の巻き上げ機も川に土台を組み上げ、物理的に高台を作って設置したりと当時の工夫が見られました。
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また、幌内炭鉱は奔別炭鉱と同じくガス爆発事故を起こし13人の作業員が亡くなっています。当時の幌内炭鉱で働いていた炭鉱マンは離れた場所にいても爆発の音が聞こえたそうです。
悲しい歴史はありますが、石油等の液体燃料が台頭するまで日本の経済を支え、危険とわかっていながら石炭を掘った人たちには頭が上がりません。

炭鉱遺産や廃墟と聞くと、「暗い」「お化けが出そう」「崩れる」「危ない」といったイメージが先行しがちです。
確かに管理されていない建物は経年の劣化により天井や床が抜けたり、電気が止められたりなど「暗い・崩れる・危ない」のイメージ払拭は難しいかもしれません。
ただ、その場所に何千何万の人が関わってきたのか。建物、設備の歴史的価値。自然に飲み込まれていく建物とその歴史。
それらが少しずつ人々の記憶から消えていく過程に哀愁を感じます。

自然が好き・史跡が好き・廃墟が好き・・・そんな方は是非三笠に行ってみてください。
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いかがでしたか?
ただ見るだけでなく、ガイドの解説が加わることによって、三笠の歴史をより一層理解できたと思います。
また、今回のジオツアーはアクティビティ要素が薄かったですが、野外博物館や炭鉱遺産を自分の足で歩いて見たことで、車で素通りするだけでは分からないことを体感することができました。

皆様も、地球の歴史、三笠の歴史に興味がある方は、ぜひジオツアーに参加してみてください!!

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