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【 てつこの部屋 】 ~ VOL13 石炭の倉~

爆裂猛進

疑問があるとどんなに眠くても即ググり、
食べたくなったものがあれば
どんな遅い時間でも食べる。

衝動をおさえられないいのしし年の
わたしはまさに猪突猛進型。

炭鉄港女子*大倉加奈さんにどうしようもなく
会いたくなってしまったわたしには、
赤平市炭鉱ガイダンス施設に
電話をかけるほかなかった。



わたし「突然すみません!
大倉加奈さん、いらっしゃいますか!?」

??「…!?わたしが大倉です!」

わたし「あの…わたし、炭鉄港のこともっと知りたくて…
大倉さんに会いたいんですが、
あした会えませんか??」

大倉「随分急ですね!!(笑)
ごめんなさい、明日は用事があって…」


わたし「そうですか…」


大倉「でも!もしお時間があれば、
赤平市の隣、
芦別市に行ってみては?

芦別なら炭鉄港のことも勉強になりますよ!

明日、“星槎大学”で待っててください♪」

 

素敵なまなびや

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??「てつこさんですね??
大倉さんから聞いてますよ!
さあ、中へどうぞ!!」

星槎大学に着いてすぐ、
校舎の中から声を掛けてくれたのは、
山口さんという方だった。

普段は星の降る里百年記念館
展示解説などをしているそうだ。

大倉さんから、
わたしのために星槎大学内部を
案内するよう依頼され、
特別に許可してくれたという。


そもそも星槎大学とは、
1954年(昭和28年)に
頼城小学校として建設された校舎。

炭鉱で賑わった芦別の子どもたちの
まなびやであったが、
石炭産業の衰退を経て、
2002年(平成14年)に閉校。


2004年(平成16年)から星槎大学が
芦別キャンパスとして
この校舎を使用していたが
最近は使用していない。


そのため、
普段は外観のみしか
観覧できないこの校舎。


それが急に中に案内された。
非常に胸熱な展開である。



最初に案内されたのは体育館。
 
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先日行ったアルテピアッツァ美唄にある
栄小学校の体育館とは雰囲気がだいぶ違う。

◇美唄編はこちらを参照◇
前編(Vol10 ~てつこ、泣く。~)
後編(Vol11 ~残すということ~)


ここ、頼城地区には
1944年(昭和19年)に、
三井芦別炭鉱第二坑が開坑。


頼城小学校はその麓にある学校。



きれいに積み重なった屋根の骨組みは、
木骨トラス構造という技術で、
中柱を使わずに頑丈な造りにするもの。


幾何学的な形状美にみとれていると、
なにか書いてあるのを発見。
 
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わたし「緑町4,旭町5…?」

山口「それは、頼城地区の町名だよ。
集団下校用に作ったのかな~」

大雪のため集団下校。
ほっぺを真っ赤にして
自分の地区看板に沿って並ぶ
子どもたちの顔が浮かんできた。
 

なが~~~いろうか

「次はここから見える校舎部分をご案内します!」
 
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体育館と別棟の校舎を繋ぐ
通路から見える校舎は、
圧倒的な長さであった。

真っ白な雪に、赤茶色のレンガも
とても映えている。


この校舎は1954年(昭和29年)に
火災で全焼したが、
三井鉱山(株)により
翌年には再建築された。

石炭産業の動向に伴って
児童はどんどん増えていき、
ピーク時には41学級に到達。

教室は36室あったが、一度に全児童が
校舎に入らず、栄小学校と同様、
入替え制で授業をしていたそう。






「ここを曲がるとろうかですよ~」

デデーーーーーーーン!!
 
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ろうかながっ!!

「ここが校舎で一番長いろうかで、
106mあります。

よ~くみると、若干曲がっているのが
わかりますか?

これは建設当時、直線だと
裏山の森林鉄道の敷地と
ぶつかってしまい、回避するために
少し曲げたそうです。

図面で見るとわかりやすいですよ!」
 
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お~~~~~~!!
思ったより曲がってる~~~~~~~~!笑

あのときのままの風景

たっぷりと星槎大学を堪能し、
山口さんへお礼と別れを告げた。

時間はまだお昼前。
この近くにもう一つあるという
構成文化財へ向かった。
 
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【旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁】
1945年(昭和20年)に竣工。

西芦別-頼城間(5km)で石炭を運ぶ
三井鉱山(株)専用鉄道の橋梁。

現在はディーゼル機関車と
石炭専用貨車が展示されている。


夏場は機関車の近くにいける。
しかし、冬場は…
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このとおりである。


私が甘かった。


「夏場、必ず会いに行くからね、
ディーゼルちゃ~ん(泣)」
 

おまけ

せっかくなので
炭鉄港カードの回収もすることに。

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁の
配布場所は、
星の降る里百年記念館。

 
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降雪具合に気をとられ
いつものおしゃれなカードの
写真は撮りそびれました。。。

星槎大学の配布場所は、
星の降る里百年記念館の隣にある
道の駅 スタープラザ芦別。

が、しかし、
ここはすでに配布終了してます…
 
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カードの代わりにランチをと、
2階レストラン「ラ・フルール」へ。


目についたのは、
ガタタン。

 
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炭鉄港パンフレットで見たことがある。

ガタタンとは、もともと具沢山で
少しとろみのついた塩味の
中華風スープのことらしい。


炭鉱マンの間で流行し、
芦別のご当地料理として定着した。


店によってこのスープを
ラーメンやチャーハンなどにアレンジし、
バリエーションが豊富なようだ。
 
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わたしはガタタンやきそばを注文。


この特別な中華風スープを口にして、
歌わずにはいられなかった。


あったかいんだから~♪

ガタタンでほかほかになった心。

わたしはその高揚感に任せ、
炭鉄港女子*大倉さんのいる
赤平市炭鉱ガイダンス施設に
もう一度電話をかけた……

 
To be continued......

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