札幌から日帰りで楽しめる、北海道 そらち・デ・ビュー

「北海道空知」をもっと楽しむ情報サイト|そらち・デ・ビュー 「北海道空知」をもっと楽しむ情報サイト|そらち・デ・ビュー

【 てつこの部屋 】 ~ VOL7 3つ目の都市 後編 ~

ノスタルジーがとまらない

わたしが大人になったからなのか。

ちょっと前までは
旅行に行くための小銭が貯まると、

「東京ディズニーランド!」 
「大阪USJ!」

などと、友人達と大騒ぎして飛行機の手配をしたものだが、


いま改めて小樽の色内地区を一人で歩いてみると
地元のおばちゃん達で賑わう市場や、
昔ながらのパン屋さんなどが並ぶ商店街に
妙に惚れ惚れしてしまう。

小樽には昔から運河観光や水族館へ
何度となく遊びに来ていたはずなのに・・・
IMG-0223.jpg

ノスタルジックな気分になり、うっとりした私であるが、
そこから無意識に足が向いた先は・・

まさかの
三角市場である。
(※小樽駅横。海鮮ショップが連なる市場。)
 
IMG-0192.jpg
言っておくが、私もレディである。

キュッとウエストを絞った
今風のズボンとかも履くわけである。


なるとの唐揚げ定食をペロッと食べてからの
海鮮丼はさすがにやばいだろう。


それはないだろう。



(写真を撮るだけ、写真を撮るだけ・・)



目を閉じて、呪文のようにつぶやく
私の眼前に現れたのは・・
 
IMG-0194.jpg
 
・・・・やっちまいました。

 

100歳超えの現役

まず向かったのは小樽市観光物産プラザ(いわゆる運河プラザ)。

歴史的建造物である旧小樽倉庫を利用したこの建物は
観光案内所や休憩コーナー、特産品販売所として活用されており、

修学旅行生や観光客で殺到する「The 小樽」な場所である。

ここで配布しているカードは、
「小樽港北防波堤」。
 
17%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E9%85%8D%E5%B8%83%E5%A0%B4%E6%89%80.JPG
17%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%88%E5%A4%96%E8%A6%B3%EF%BC%89.jpeg


今更だが、炭鉄港カードは裏面に
各構成文化財の解説が記載されている。


1908年、小樽築港事務所長の
廣井勇により我が国初の
本格的な港湾整備として建設。


100年以上を経過した現在も、
『第一線防波堤』として
その機能を果たしている。


100年も小樽の荒波に耐えてる防波堤って!?

それをつくった廣井勇
お、炭鉄港カードになってるじゃん!!!!

 

土佐から来た男

小樽観光物産プラザから車でまた5分ほど
移動したところ。

まさに小樽!な観光ストリートど真ん中、
堺町商店街
 
23%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%88%E5%A4%96%E8%A6%B3%EF%BC%89.JPG
(廣井勇キタ-----(゜∀゜)-------)
近代土木・港湾工学の父 廣井勇

土佐国(現・高知県)出身。
札幌農学校(現・北海道大学)に
2期生として入学し、
内村鑑三や新渡戸稲造らと学ぶ。


1897年に小樽築港事務所長に就いた廣井は、
コンクリートの長期耐久性試験等を行い
小樽港の北防波堤を整備

コンクリートを用いた日本初の
第一線防波堤であり、
荒波に耐えて100年以上たった今もなお、
その機能を果たしている。

(小樽の防波堤を意識したことのある人が
果たしてどれだけいるだろう・・。)


当初は木造の桟橋だった小樽港。
石炭取扱量の増加に伴い、
埠頭整備がいかに重要な課題であったのかという
当時の実情が分かるストーリーです。



 

おまけ


「お、なんかここおしゃれ!」

気づけば炭鉄港に没頭していて
最近投稿していなかったインスタ用に、
サクッと映えた写真を撮影し
岩見沢の家へ帰ることにした。
 
%E6%89%8B%E5%AE%AE%E7%B7%9A%E8%B7%A1%E5%9C%B0.jpeg

何気なく立ち寄ったこのおしゃれ映えスポット。

今年の炭鉄港カードにはなっていないものの
実は、構成文化財の一つ
「手宮線跡及び附属施設」
なのである。

ここの解説についてはまたいつか…
 
To be continued
 

あなたにおすすめの記事

TOPへ戻る