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【 てつおじさんぽ゜ 】 ~「第20歩 炭鉄港スノーアクティビティ」~ @ 三笠

こんにちは

先日は10年に一度の
“最強寒波”による雪害の影響で
岩見沢周辺では、公共交通機関が
運休したり、道路が通行止めになったりと
冬将軍が猛威を振るっていましたね
01fuyu.jpg
皆さんは変わらずお元気でしょうか

てつおじは久方ぶりに
焼き肉を食べたら
消化機能の衰えのためか

次の日はポンポンが痛い痛いでした

世の中とは全然関係のない話で
始めてしまって
申し訳ない気持ちの
てつおじです


さて、今回は
三笠ジオパーク推進協議会事務局主催の
住友奔別(ぽんべつ)炭鉱ガイドDayに参加してきました
02guideday.png
普段は入ることができない
住友奔別炭鉱でガイドを
してもらえるとのことで
てつおじ行って参りましたの

!!注意!!
住友奔別炭鉱の敷地内は、
一般企業が所有しているため無断で
立ち入ることはできません
最悪の場合、警察沙汰になるので
ガイド案内などがある日に
安全に見学することを推奨します
03start.jpg
当日の天気は
薄曇りで雪も降らず
太陽さんがうっすら見えており
スノーシューで雪上を歩くには
もってこい
04-01snow.jpg
おスノーシューを履いて準備が
出来たら出発進行ですわ~
05fuyu-natu.jpg

おわかりいただけただろうか・・・


夏には住友奔別炭鉱の説明看板が
ちゃんと読むことができていたのに
冬は人の背丈位まで雪で埋まっている・・・


2m近く積雪があるとでも、言うのだろうか?


三笠市街も結構積もるらしいのですが、
ここ、幾春別エリアは
それ以上に積雪するみたいです

背筋が一瞬ゾクッとしたでしょ?
しない?
しないね・・・



住友奔別炭鉱立坑は
浅い層の石炭を掘った後に
深い層の石炭も掘るために
開発された立坑

ドイツGHH社から技術導入して
三菱造船(株)が製作した立坑で、
1960(昭和35)年に稼働を開始し、
1971(昭和46)年の閉山まで
使用されていました
( 出典:炭鉄港ポータルサイト

ケージの移動スピードは12m/s
東京スカイツリーのエレベーターが
10m/sなので、令和の
エレベーターよりも早いのは驚き

おじは少し早いエレベーターで下に
下がるだけでも内蔵がゾワリとするのに
そんな早いのに乗ったら
ゾワリどころじゃないですわ
オワリ?
06ponbetu.jpg
そんな奔別炭鉱立坑櫓の方へ
スノーシューでずんずん進んでいくと
普段遠くから見ている住友奔別立坑櫓とは
一味違った顔を見せてくれます

むき出しになっている鉄骨部分は
炭鉱が閉鎖される1971(昭和46)年の
立坑密閉作業中に爆発事故があり、
その爆風でトタンが剥がれて
こうなったのだそうです

当時の話だと、幾春別市街に
爆発音が響いて騒ぎになったとか

この立坑櫓が建てられた後に
改良型の住友赤平炭鉱立坑櫓
1963(昭和38)年 赤平市に出来ました

是非とも
奔別炭鉱立坑櫓だけではなく
赤平炭鉱立坑櫓も
見学しにいってみてください
( 詳細はてつおじさんぽ12をご覧ください )


立坑櫓の裏側へ歩いて行くと
立坑から北の山の方にある選炭施設へ
ベルトコンベアで石炭を運んでいたのですが、
その支柱が確認できます
07ura-belt.jpg
コンベア支柱の延長線上にある
選炭施設へ石炭を運び
石炭と不要なズリを分ける
選炭作業をします
08ura-sentan-seitan.jpg
高いところにある選炭施設で
高低差を利用して石炭を選別したあと
精炭ホッパーに石炭を輸送して保管します

正にスリンキーが階段から
降りていくようなイメージ・・・
皆が知っているスリンキー

そして精炭ホッパー下に
SLが入ってきたら
ポケット下の蓋を開けて
ザバーッとSLの貨車に乗せる

そしてSLは岩見沢を経由して
各地へ石炭を運んで行く~
というのが一連の流れ

文字だけだと訳が分からん!
ハイ!確かに!

百聞は一見に如かず
ということで

当時の住友奔別炭鉱の写真()を
見て、何となく分かっていただきたい!
分かってほしい!
何となく分かって~
09sentan.jpg
時を現代に戻して
こちらが選炭施設の一部
 
10seitanpocket.jpg
こちらは精炭ホッパー裏からの写真です
積雪で屋根が潰れています
元々別の建物で、増設した後に真ん中を
繋げていたそうですが、
増設した方が潰れています
 
11seitanhoppa.jpg
精炭ホッパー裏から降りてきて
SLの入口側からの写真です
ここからSLが入っていくわけです

開いている扉から何者かが
入った跡がありました

怖い話かと思いきや
何と

シカでした
(トラじゃなくて良かった)

シカが中に入っているそうで
フンが沢山落ちているとガイドさんから
説明があると


参加者一同「ふーん」


・・・。


作り話ではありません
嘘じゃないもん!
ホントだもん!
12hoppa-yagura.jpg
1960年頃の小学校の様子は、
奔別小学校が20学級で
児童数1,100人
幾春別小学校が20学級で
児童数1,500人
を記録していたそうで、
1,000人超えの小学校が2つも!?

近年だと、北海道千歳市の
北陽小学校が2019年に
児童数1,499人を記録して
全国一となったニュースがありましたが、
(参考:北陽小学校の様子Youtube
同時期の同じ市内に1,000人超えの小学校が
2つもあるなんてどれだけ人が
集中していたのかが良く分かると
思います


住友奔別炭鉱は
スクラップアンドビルド政策により
残った炭鉱の一つで三笠を
支えてきましたが、

同時期にあった原油の輸入自由化と
札幌冬季オリンピックの工事需要により
人が流出していった歴史があります

奔別炭鉱や北炭夕張新炭鉱でも
爆発事故があったことも、
その流れを助長したのかもしれません
まさに命懸けのお仕事でした




と、今回は、
住友奔別ガイドDayの
内容をご紹介させていただきました

ガイドに関係する事前準備、当日のガイドと
三笠市ジオパーク推進協議会事務局の
皆様へこの場をお借りして感謝申し上げます
ありがとうございました
13sarashina.jpg
帰りは
前にてつおじさんぽで
お世話になった更科食堂
お子様らーめんと親子丼を
いただきました

冷えた身体に暖かい
らーめんが染み渡る・・・
あったまるゥ~ウ
親子丼も絶妙な味加減で
あっという間に完食

お支払いは
三笠市商工会が発行している
ありがたいクーポンのおかげで
1,200円→700円になりました
(期限は2/28までですが、枚数制限があるので
興味のある方はお早めにご利用ください)
加盟店はこちら

・・・何だか

安すぎませんか?
これが俗に言う
異世界転生モノなのでしょうか

てつおじが異世界転生したら
食堂のお支払いが安すぎな件(?)


普段は入れない奔別炭鉱のガイドも聞けて、
おいしいお昼も食べられて
大満足!

色々検索していたら
奔別炭鉱絡みの論文を見つけたので
興味のある方はご覧ください


最後に
引き続き、引き続いておりますが
てつおじさんぽ゜のアンケートをやっております!
現在回答15件!
回答くださった方、ありがとうございます!

以下のアドレス
https://forms.gle/tH6QUQ4pAgm2AYxM6
もしくは
下記QRコードから、
こういうものを取り上げてほしい、
このタイトル、言い回しの元ネタは?
何日の何時頃、札幌の街中を歩いていた
あれはてつおじですか?等々
ご意見があればアンケートにて
ご回答いただけると
今後の改善と筆者の励みにもなりますので
枕を高くしてお待ちしております

※ ご記入いただいた個人情報は、
上記の利用目的のみに使用し、
第三者に提供することはございません

それでは
次回のてつおじさんぽ゜をお楽しみに!


てつおじさんぽ゚過去の軌跡
第1歩 「炭鉄港マスター アドバンスジェネレーション」
第2歩 「(炭鉄港)めし物語 & WALKING!
第3歩 「おジてつさんぽ#」
第4歩 とある歴史の探訪者 赤平
第5歩 てつおじのく頃に 月形 岩見沢
第6歩 えき☆すた(eki-station 沼田 美唄
第7歩 コールライブ!! coal idol project 滝川
第8歩 うずらんソフ太郎 室蘭
第9歩 てつおじがいない街 夕張
第10歩 GO! MY WAY 上砂川
第11歩 めしイベヘブン
第12歩 TRAIN on RAIL 三笠
第13歩 話術パイセン
第14歩 微症状戦士ヨーツーマーン
第15歩 SWAN HANG
第16歩 SEKI TAN 心魅(ひ)かれてく
第17歩 炭鉄港めしレシピダービー  芦別
第18歩 ミカサノサカミチ  三笠
第19歩 炭鉄港めしなど 栗山 芦別 赤平
昨年度の軌跡

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